カナダの話題集

 

1.国土

2.社会

3.文化・スポーツ

4.経済・産業

5.日本とカナダ

6.首都・オタワ

7.その他

 

 

1.国土

Go to fullsize image カナダの国土997㎢はロシア連邦についで世界第二位で、耕作面積はロシア、中国、米国に次いで世界で4番目の広さ。また、国土の総面積に対する人口密度は世界一の低さを誇る。因みに、カナダ国民の約75%は米加国境より150km以内に居住している。

 

Go to fullsize imageカナダは南にアメリカ、西にアラスカ(アメリカ)、東にグリーンランド、そして北極海を挟んでロシアと隣接する。米国との国境は8,890kmで世界一長い非武装国境と言われる。またカナダの海岸線は202,080kmでこれも世界最長。

 

Go to fullsize image カナダにある10の州で面積が最大で、かつ最古であるのはケベック州。1763年に州になり、カナダ自治領の一部となる1867年以前は、Lower Canadaと呼ばれていた。(因みに、それに対し現在のオンタリオ州はUpper Canadaと呼ばれていた。)州都であるケベックシティはメキシコ以北の北米大陸で唯一の城塞都市であり、1985年に世界遺産として認定された。

 

Go to fullsize image北西準州・ヌナブト準州だけで、世界の淡水の約9%を保有している。

 

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2.社会

 

Go to fullsize image国名である「カナダ」はインディアン語の一種のイロクォイ語で「村落や居住」を意味するKanataが語源。

フランスの探検家ジャック・カルティエが1535年にセントローレンス川付近を探検中、スタドコナ(現在のケベックシティ)への道を原住民に聞いたところKanataと教えられ、同探検家がこの付近を表すのに使用したのが始まり。次第に開拓が進み、もっと広い範囲についてもKanataと呼ばれるようになり、現在のCanadaとなった。

 

Go to fullsize image Go to fullsize image カナダの国旗には国の色である赤と白を用い、中央には古くから国のシンボルとされていたメープルを配した物で、正式に国旗として指定されたのは1965年のこと。それ以前はユニオンジャックとカナダの紋章が配された赤い旗が使用されていた。現在の国旗は、全国からデザインを募集し、応募件数約2,000件の中から選ばれた。なお、左右の赤は大西洋と太平洋を、中央の白は広大な国土と国の発展を表現している。

  

Go to fullsize imageカナダの国歌O Canadaは1880年フランス系カナダ人によって作詞、作曲された。それまでの間カナダ(英語圏)においては”God Save the King”や”The Maple Leaf Forever”が非公式の国歌とされていたが、20世紀初頭、数多くの英語版歌詞とともに愛国の歌として広まった。このため、英語と仏語で歌詞の意味が異なるのが特徴。

正式に国歌として指定されたのは、作曲されて百年目にあたる1980年。現在も英連邦に所属するカナダにとって”God Save the Queen”は王族や総督に敬意を表する際に使用されている。

 

Go to fullsize imageカナダの政治体制はイギリス女王を国家元首とする立憲君主制で、カナダ総督が女王の代理を務める。任期は通常5年で、カナダにとって多大な貢献をした人が、カナダ首相によって推薦され、イギリス女王によって任命される。

また、政府はイギリス型の議院内閣制を採用しており、総選挙によって選ばれた連邦政府の首相が行政権を有しているが、カナダは歴史的に各州の合意に基づいて連邦政府が形成された経緯があるため、州に自治権が認められており、それぞれの州に首相、内閣及び議会がある。

 

Go to fullsize imageカナダの言語について、国民の約60%が英語を、20%が仏語を母語としている。連邦政府は英語と仏語を公用語としており、両語併記を原則としているが、ケベックに行くと仏語のみの標識が目立つ。また、仏語に関してはフランスの仏語と比べ、発音等が異なる。

 

Go to fullsize image多民族国家カナダには様々なエスニックグループが存在している。近年カナダには年間平均約22~25万人の移民が入国していて、中国人等のアジア諸国からの移民が増加の傾向にある。

また、元来カナダに住んでいた人々をFirst Nations Peopleと呼び、北米インディアンやイヌイット等が当てはまる。彼らの人口は全人口の約4%の130万人であり、連邦政府はインディアン問題・北方開発省を設置するなど、元来いた人々との共和を図る努力をしている。因みに、イヌイットとは彼らの言葉で「人間」を意味しており、日本でよく耳にするエスキモーは元々「生肉を食べる人」を意味し蔑称とされるため、現在では使用されていない。

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3.文化・スポーツ

 

 

Go to fullsize imageカナダの大自然を舞台にした映画には、「天と地」、「ドクトル・ジバゴ」、「帰らざる河」、「ナイアガラ」、「ヒマラヤ杉に降る雪」等で、最近では「ブロークバック・マウンテン」がある。バンクーバー、トロントのスタジオにて多くのハリウッド映画の撮影が行われており、バンクーバー市は「北のハリウッド」として知られている。

 

Go to fullsize image「クマのプーさん」のモデルとなったクマの名前はマニトバ州ウィニペグ市出身のコールバーン中尉がイギリスへ連れて行ったクマで、愛称は中尉の出身地に因んだWinnieだった。ウィニペグ市アシニボイン公園内にはプーさんの銅像が建っている。

 

Go to fullsize image日本女性の3分の2が少女時代に読むという小説「赤毛のアン」 (“Anne of Green Gables”)を著したのはルーシー・モンゴメリー。祖父母とプリンスエドワード島で暮らした自分の体験に基づいて書いた同小説は、7つの続編を生み、ハリウッドで2度映画化され、ミュージカルにもなっている。

舞台となっているキャベンディッシュ国立公園内にあるGreen Gables House(緑の切妻屋根の家)は、モンゴメリーの従兄弟の家で、物語に沿って内部が再現されており、毎年多くの日本人観光客が訪れている。

Jenna MacMillan as

 

Go to fullsize imageカナダが輩出した有名芸能人として、映画界からは、マイケル・J・フォックス、キアヌ・リーブス、ジム・キャリー、ライアン・ゴスリング、ライアン・レイノルズ、マイク・マイヤーズ、ヘイデン・クリステンセン、ドナルド・サザーランド、キーファー・サザーランド、レイチェル・マクアダムス、アンナ・パキン、キャリー=アン・モス、そして監督のジェームス・キャメロン、ポール・ハギス等がいる。音楽界からは、グレン・グールド、ポール・アンカ、ブライアン・アダムス、アラニス・モリセット、ニール・ヤング、セリーヌ・ディオン、ジョニ・ミッチェル、ジャスティン・ビーバー、アヴリル・ラヴィーン、サラ・マクラクラン、ネリー・ファータド、オスカー・ピーターソン、ダイアナ・クラール、シャナイア・トゥエイン等がいる。

 

Go to fullsize image日本を始め世界中で公演を行っているシルク・ドゥ・ソレイユ(太陽のサーカスの意)はモントリオールが拠点。1984年にケベック州の支援を受けて結成され、動物等を使わずに芸術を表現するという新しいサーカス団。主な演目は、「サルティンバンコ」、「キダム」、「アレグリア」、「ドラリオン」、「オー」など。ラスベガスのべラージオホテルで常設公演されている「O(オー)」は、シルク・ドゥ・ソレイユが初の水上シアターを使った演目で、約80名のパフォーマーが150万ガロンの巨大プールを使ってパフォーマンスを繰り広げる。

現在、ラスベガスやフロリダで複数の常設公演を行っている他、巡回公演も平行して行っている。東京ディズニーランドリゾートでも2008年から2011年まで常設公演が行われていた。

 

Go to fullsize imageアメリカンフットボールが北米で始まったのはイギリス陸軍がカナダのマギル大学で紹介したのがきっかけ。アメリカとカナダではルール等が若干異なり、特に違う点は人数で、アメリカでは11人で行うのに対し、カナダでは12人。

 

Go to fullsize imageバスケットボールを考案したのは、アメリカ マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCAの訓練校(現在のスプリングフィールド大学)で講師をしていたカナダ人のジェームズ・スミス。彼の考え出したルールが現在のバスケットボールの原型となっている。なお、一人の人物によって考案された数少ない競技の一つでもある。

 

Go to fullsize imageカナダの国技はアイスホッケーとラクロス。1994年アイスホッケーは冬の国技、ラクロスは夏の国技として法律により認定された。

 

Go to fullsize image2006年トリノ冬期オリンピックでは、女子アイスホッケーを始め、7個の金メダルを獲得。2010年にはバンクーバーで冬季オリンピックが開催され、計14個の金メダル(参加国最多)を獲得するという快挙を成し遂げた。

 

Go to fullsize imageカナダ特有のボウリングとして5ピンボウリングがある。これは、トロントのトーマス・F・ライアンが20世紀初頭に考案したものである。ピンは通常の75%程のものが5本で、ボールも小さく、指を入れる穴が存在しない。3回投球でき、それぞれのピンは5点、3点、3点、2点、2点と点数が決められており、倒したピンの点数を加算していく。

 

NHL Hockey

 

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4.経済・産業

Go to fullsize image電話は、アレキサンダー・ベルがオンタリオ州に住んでいたときにアイディアが浮かび、ボストンで実際に組み立てて発明したもの。そのため、カナダ・米国の双方が電話の発明された国を主張。世界初の長距離電話はベルがオンタリオ州内で16キロ離れた場所にいた家族と交わされた。

 

Go to fullsize imageインシュリン(糖尿病薬)は1922年医学学会にてトロント大学で研究をしたバンティング、ベスト、コリップ、マクラウドの4人が発表。翌年にはノーベル化学賞を受賞している。

 

Go to fullsize image減速材として重水を使った発電用原子炉キャンドゥー(CANDU)炉はカナダ産。現在カナダに加えインド、韓国、中国、パキスタン等に計44基が存在する。

 

Go to fullsize imageカナダはアイスワインの生産高世界一。アイスワインは、氷点下で凍った葡萄を用いた甘みの強いワインで、デザートワインとして好まれる。18世紀にドイツで偶発的に作られたが、カナダでは最近スパークリングアイスワイン等新しい種類も開発されている。

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Go to fullsize imageカナダの特産品として知られるメープルシロップは主に東部の産物で、特にケベック州で取れる。シロップの他、シュガーやバター等にも加工される。

 

Go to fullsize imageカナダのメープルリーフ金貨は、フォーナイン(99.99%)で世界一の純度。

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5.日本とカナダ

 

Go to fullsize image日加外交関係は1928年に開設され、1929年に両国間で外交使節が派遣された。カナダにおいてアメリカ、フランスに次いで3番目に開設された公使館で、当時の日加関係の重要性が伺える。

日本の初代駐カナダ公使は、将軍家の子息である徳川家正。日本公使館が開設当時入居していた「ビクトリアビルディング」は連邦議会議事堂正面の一等地で、現在も上院事務所として残っている。

 

Go to fullsize image日本最初の英語教師はアメリカ生まれのカナダ人ラナルド・マクドナルド氏。北米インディアンとスコットランド人商人との間に生まれた彼は、1848年、鎖国下の日本(北海道沖)に流れ着いたところをアイヌの漁夫に救出される。長崎の座敷牢に半年間幽閉されている間にオランダ語通詞に英語を教授した。教え子の一人はペリー来航時に幕府の主任通詞を務めた。帰国後「日本回想記」を執筆。

 

Go to fullsize imageカナダの建国(英領北アメリカ法制定1867年)と日本の近代国家誕生(明治維新1868年)は、ほぼ同時期。

 

Go to fullsize image日系カナダ移民第一号は、長崎出身の永野万蔵(1877年入国)。B.C.州で日本向けの塩漬け鮭の輸出を始めて成功し、巨富を得た。

 

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Go to fullsize image「太平洋の架け橋」を訴えた新渡戸稲造は、バンフでの国際会議出席後、ビクトリア(B.C.)で逝去。現在ブリティッシュ・コロンビア大学にある日本庭園は、新渡戸記念庭園と命名されている。

 

Go to fullsize image日系カナダ人は戦前・戦中多くの苦労を経て現在約8万人に上っている。多くの日系カナダ人がカナダ社会で活躍中だが、とりわけ著名なのは、詩人・作家のジョイス・コガワ、アイスホッケー選手のポール・カリヤ、資源科学・環境問題評論家のディビッド・スズキ、ピアニストのジョン・キムラ・パーカー、ナリ・マツウラ、在京カナダ大使館やカナダ戦争博物館等を設計したレイモンド・モリヤマ、建築家ブルース・クワバラ、画家のロイ・キヨオカ等。また、日系カナダ人として初めての閣僚はビバリー・オダ国際協力相である。

 

Go to fullsize imageマルルーニー元首相は、第二次世界大戦の際に、罪もない日系カナダ人が、先祖が日本から来たというだけの理由でカナダ政府により、強制収容、財産没収、大学や学校からの退学、市民権剥奪、故郷からの追放等の人権侵害を蒙ったことについて、長年にわたって心を痛め、野党時代から政治家としてその解決に取り組む決意を明確にしてきた。マルルーニー元首相は、政権に就いた1984年以降、カナダ政府として本件問題の解決を実現するために真摯かつ精力的に取り組んだ。その結果、日系カナダ人の名誉回復を図り、また補償を行うことにつき日系カナダ人との間で最終的に合意するに至り(リドレス合意)、1988年9月22日議会で日系カナダ人の名誉を回復するための演説を行った。その演説を受けて、当時の野党の自由党やNDP(ブロードベント党首)の代表は、この歴史的な英断を讃える演説を行った。

 

Go to fullsize imageクイーンズ大学に留学された故高円宮殿下は、カナダとの諸交流に尽力された。2006年1月、トロントの王立オンタリオ博物館内に高円宮妃殿下御臨席の下、「高円宮ギャラリー」が開館した。

 

Go to fullsize imageイヌイット版画には、日本の版画技術が取り入れられている。1983年に訪日したジェームス・ヒューストンは、平塚運一画伯(棟方志功画伯の師)等に版画技術を習い、帰国後、イヌイットに技術を指導。現在でも和紙が使用されたり、コミュニティーの印を示す「花押」が押されたりしている。

 

Go to fullsize image外国人で二人目(白人では初)の相撲取りになったのは、カナダでプロレスラーとして活躍したB.C.州出身のジョン・テンタ。現在琴欧州関が所属する佐渡ヶ獄部屋に「琴天山」として入門し、幕下で引退した。1988年にはバンクーバーにおいて大相撲史上9回目の海外場所も催されている。

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6.首都・オタワ

 

 

Go to fullsize imageオタワは1857年にビクトリア女王の裁定により、首都となった。一説によると、首都として選ばれた理由が、米軍が森の中で迷子になって侵攻できないため、英仏両勢力の境界に位置していたため等がある。因みにオタワの語源はアルゴンキン・インディアンの言葉で「物々交換」を意味する。

 

Go to fullsize imageオタワはトロント、モントリオール、バンクーバーについで4番目に大きい都市で、オタワ首都圏には約120万人が居住している。1月や2月には最低気温が-30度以下になる日もあり、体感温度は-40度以下になることもある。1月の平均気温は-15.3度、7月の平均気温は26.5度である。オタワでの史上最低気温は1951年12月の-38.9度、また、史上最高気温は1917年8月の37.8度であった。

 

Go to fullsize image市内を流れるリドー運河はオタワと五大湖を結ぶための物資の補給路として1826年から1832年にかけて作られ、今でもボートの通り道として使われている。2007年に世界遺産(文化遺産)に認定された。冬に運河が氷結すると世界最長のスケートリンクとなり、市民の憩いの場として親しまれている。リンクは全長7.8キロで、オリンピックで使用されるリンクの90個分に相当し、ギネスブックにも世界最長のスケートリンクとして公式に認定されている。

 

 

Go to fullsize imageカナダにおける平和を祈念する塔であり、オタワのシンボルでもあるネオ・ゴシック調の議会議事堂の中央に位置しているのは1927年に完成したピースタワー。オタワ市には、昔この塔より高い建物を造ってはいけないという法律があったが、都市開発が進んだ現在、同法は撤廃されている。

 

Go to fullsize imageオタワ市及びその周辺には北米で最長と言われるサイクリング道路を有し、その長さの合計は170キロにも及ぶ。

 

Go to fullsize imageオタワ首都圏には自然が多く、200㎢ものグリーンベルトと呼ばれる自然保護区域やラムサール条約において国際的に重要とされている湿地帯がある。

 

image of Tulips by the Peace Tower

 

Go to fullsize image毎年5月にはチューリップ祭が開催される。このチューリップ祭が始まったきっかけは、戦時中オランダ王室がカナダから受けた協力への感謝の印として1945年に大量のチューリップを同国に贈ったことが始まり。1953年に初めて開催されて以来、世界有数のチューリップ祭として多くの人を魅了している。ダウズ・レイク周辺のみだけでも毎年30万本以上のチューリップが植えられている。

 

Go to fullsize imageオタワでは3月初旬より大きな爆破音が聞こえる。これは、5ヶ月間にも及ぶ寒い冬に凍った川を壊しているダイナマイトの音で、気温の上昇により、氷が溶け出し、川が溢れ出さないように防ぐための大切な作業。オタワでは春の訪れを告げる風物詩となっている。

 

 

 

Go to fullsize image議会議事堂の東側に位置するのは高級ホテルフェアモント・シャトーローリエ。同ホテルの総支配人ヘイズ氏は1912年に北大西洋沖を航海中のタイタニック号の沈没事故に遭遇し、死去。そのため、開会式典は3週間遅れ、当時首相であったローリエ首相が代行し、同首相の名前からシャトーローリエと名付けられた。ヘイズ氏を讃えて、558号室のスイートには同氏の名前が付いている。

 

Go to fullsize imageカナダ外務省の建物(通称ピアソンビルディング)は14代首相レスターB.ピアソンの功績を讃えて、同人の名前が付けられている。ピアソン首相は、1956年のスエズ運河危機の際、現在の平和維持軍の前身となる軍隊の派遣を提唱し、ノーベル平和賞を受賞。オタワの観光ツアーに参加すると、この建物の形がこのスエズ運河危機になぞり、スフィンクスの形をしているとガイドされる。

 

 

 

7. その他

 

Go to fullsize image北極で氷の城に住み、トナカイと一緒におもちゃ工場で子供達ためにおもちゃを作っていると言われるサンタクロース。子供達が ”Santa Claus, North Pole, Canada, H0H 0H0”宛に手紙を書くと、サンタクロースから返事が貰える。これは、毎年1万3千人以上のカナダポストの職員の協力によって行われており、16カ国語、点字で全世界の子供たちに返事を出している。

 

Go to fullsize imageカナダのノバスコシア州ハリファックスには、1912年タイタニック号の事故にあった犠牲者の墓地が存在する。その中にはフィクションにもかかわらず、1998年に公開された映画Titanicの主人公・ジャックの名前の墓が存在すると言われ、日本からも観光客が訪れている。

Go to fullsize imageカナダの国を象徴する動物はビーバー。元々は毛皮貿易の主要品目であり、貿易会社であったThe Hudson’s Bay Companyの紋章にも採用された。また、1851年にはカナダ初の切手のデザインにもなり、1975年に「ビーバーをカナダの象徴と認識する法」が制定されたことに伴い、正式にカナダの象徴となった。国立公園のシンボルマークにもなっている。

Go to fullsize image北米一大きな哺乳類はバイソンと呼ばれる(アメリカンバッファローとも言う)牛科の動物で、大きいものは重さ1トン、体長3メートルを超える。主として、北米大陸に生息し、19世紀には乱獲により、絶滅の危機にさらされた。現在では北米に凡そ35万頭いると推測されている。カナダでは食用としても利用されている。

 

Go to fullsize imageトロントにあるCNタワー(Canadian National Tower)は、1976年、カナディアン・ナショナル社が電波塔の目的で建設したトロントのスカイラインを象徴する建物である。高さ533.33mで、開業から2007年までの32年間は世界最高の地上建造物であった。現在は、観光スポットとして有名であり、342mには床がガラスで出来ている『グラス・フロア』がある。351mには回転展望レストラン『360』があり、72分かけて床が一周する構造となっている。

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