在カナダ日本国大使館 山野内勘二大使からの御挨拶

令和4年5月16日
 はじめまして、山野内勘二と申します。
 去る3月15日にカナダ駐箚特命全権大使を拝命し、5月3日、オタワに着任いたしました。
 駐カナダ大使は、初代の徳川家正特命全権公使から数えて私で31代目になりますが、これまで築かれてきた日加間の信頼と友情に立脚して、外交・安全保障、ビジネス・経済、文化交流等の全ての面で、日加関係の一層の発展のため、微力ながら全力で取り組んでいく所存です。
 
 シカゴ経由でオタワ入りした際、飛行機の窓からオタワの夜景を眺めながら、これまでの外交官人生でのカナダとの関わりを改めて思い起こしていました。
 最も印象深いのは、2009年7月の天皇皇后両陛下のカナダ公式訪問です。当時私は外務省北米第一課長の職にあり、準備のため、半年間に何度もカナダを訪れ、また、随員として14日間に及ぶ全日程に同行させていただきました。両陛下は、首都オタワでの歓迎式典、総督との面談等の公式日程に加え、ケベック州ガティノー、オンタリオ州トロント、さらにはブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー、ヴィクトリアを御訪問になり、各地で日系コミュニティー、カナダ側の要人・市民と交流されました。私はこの御訪問への随行を通して、極めて良好で強固な日加関係を実感した次第です。
 また、翌2010年6月のG8ムスコカ・サミットとG20トロント・サミットも忘れられません。現代の国際社会で最重要な2つの国際会議をバック・トゥ・バックで主催するカナダの意気込みは、自信と凄みを感じさせるものでした。遡れば、1995年のG7ハリファックス・サミットにも参りましたが、大西洋岸都市への訪問は、カナダの歴史に触れる良い機会でした。
 時間は前後しますが、経済局長として関わったTPPを巡る折衝にも忘れ難いものがあります。2017年1月、米トランプ政権はTPPを離脱。日加豪等残りの11か国で協定を発効させるべく交渉を進めていた最終局面でカナダが新たな論点を持ち出し、交渉は難航しました。最終的に協定はTPP11として発効しましたが、この出来事は、国際場裡におけるカナダの独自の存在感を強く印象付けるものでした。
 国際社会は各国の国益がぶつかる場でもあります。協力を進めるのは時として決して容易ではありませんが、日加両国は自由、民主主義、法の支配といった普遍的価値を共有するインド太平洋国家です。昨年5月、両国外相は、日加両国が共に掲げるビジョンである「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け、6分野の優先協力分野を発表しました。これらは,(1)法の支配、(2)平和維持活動、平和構築及び人道支援・災害救援、(3)健康安全保障(ヘルス・セキュリティ)及び新型コロナウイルス感染症への対応、(4)エネルギー安全保障、(5)自由貿易の促進及び貿易協定の実施、(6)環境及び気候変動から成り、上述のTPP11もこの中に含まれます。本年2月の日加首脳会談で、岸田総理とトルドー首相は、「自由で開かれたインド太平洋」を含む、戦略的パートナーシップを確認しました。これを基礎に様々な分野で具体的な協力を進め、両国関係を一層発展させたいと考えています。
 
 赴任に先立ち、日加関係に関わる各界の方々に御挨拶するとともに、意見交換の機会を持ちました。どの機会もが示唆に富み、日加関係の層の厚さと将来性を示すものでした。「赤毛のアン」にまつわるプリンス・エドワード島との交流、杉原ビザで日本を経由して北米大陸に渡った欧州の迫害ユダヤ人の歴史、ウクライナ情勢を踏まえた日加安全保障、パンデミック下での国際貢献、LNGや水素・アンモニアを始め日本企業が参画する大型プロジェクト等々、新旧様々な話題や他分野にわたって、両国のつながりを語る要素は多々あります。また、宮城県女川町を訪問し、ハンプトン・グレー大尉の慰霊碑と女川湾戦没者慰霊碑に献花して参りました。関係者のお話を伺い、ローカル・コミュニティーが担う日加間の友情の深さに感動しました。一人ひとりの心と友情が国どうしの関係の基礎となることを再認識しました。
 政治、安全保障、ビジネス等における日加間の協力関係を強化するのはもちろん、文化や学術、芸術面でも、お互いの魅力にふれあえる機会を様々な形で模索しつつ、国・地方・人の全てのレベルで、相互間の往来や交流を深めていければと思います。
 
 未だ着任したばかりで、信任状の捧呈をはじめ様々な手続が待っておりますが、まずは、着任のご挨拶と日加関係発展への私なりの思いを綴らせていただきました。
 今後日加関係を更に発展させるべく取り組んでまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。